車椅子や電動車椅子は、高齢者の暮らしを支える大切な移動手段です。しかし、思わぬ事故が、介助者の目が届かないわずかな時間に起きていることをご存知でしょうか。本記事では、公的機関の公表データをもとに、車椅子・電動車椅子の事故の実態と、今日から実践できる対策について解説します。
車椅子・電動車椅子の事故、実はこんなに起きている
NITE(製品評価技術基盤機構)が2023年3月に公表した「車椅子」に関する事故防止対策報告書によると、65歳以上の高齢者が被害にあった車椅子・電動車椅子の事故は、2007年度から2021年度までの15年間で合計228件確認されており、うち68件が死亡事故という、重い結果につながっています。
同報告書では、こうした事故の多くが「介助者の目が届かない状況」で発生していると指摘されています。
手動車椅子と電動車椅子で異なる事故パターン
- 手動車椅子:「転倒」や、座面からの「投げ出され」による事故が多い
- 電動車椅子:「転落」や「転倒」が事故全体の半数以上を占める
電動車椅子の事故は近年増加傾向
電動車椅子の事故は、平成21年(2009年)にハンドル形電動車椅子のJIS規格が制定されたことで大幅に減少しましたが、2016年以降、再び増加の兆しが見られます。背景の一つとして、自動車の運転免許を自主返納する高齢者が増え、移動手段として電動車椅子を選ぶ方が増えていることが指摘されています。
また、NITEが2021年9月に公表した資料では、2016年から2020年の5年間で電動車椅子による高齢者の事故が23件確認され、うち11件が死亡事故でした。事故発生場所として最も多いのは「踏切」で7件(うち死亡5件)、次いで「側溝など道路以外の場所への転落」が5件(すべて死亡事故)と、いずれも深刻な結果につながっています。
専門家の視点 — 事故の裏にある”ブレーキのかけ忘れ”
福祉用具メーカーで24年間、商品開発・品質管理に携わってきた立場から、少し専門的な視点を加えさせてください。
手動車椅子の「投げ出され」事故の背景には、ブレーキ(車輪のロック)のかけ忘れが、典型的な引き金の一つとして指摘されています。乗り移りの際や停車中に、ブレーキが確実にかかっていない状態で体重をかけてしまうと、車椅子が動いてしまい、転倒や投げ出しにつながります。
なぜ「工具不要のブレーキ調整」や「操作部のカラー化」が広がったのか
開発現場では、工具を使わずに調整できるブレーキ機構や、ロックレバーなど主要な操作部分を色分けして見やすくする工夫が、業界標準として広がってきました。これは、「ブレーキがかかっているかどうか」を利用者やご家族が一目で確認できるようにすることが、事故防止に直結するためです。
JIS規格が担う役割と、その範囲
2009年のハンドル形電動車椅子のJIS改正は、誤操作を防ぐための構造上の基準を強化したものですが、あくまで「製品側」の基準です。踏切や悪路を避けるといった「使い方」の部分までを保証するものではありません。
※本項の規格情報は一次情報(最新のJIS改正状況)での確認を推奨します。
どれだけブレーキやロック機構が改良されても、「かける」というひと手間を利用者・介助者双方が徹底しなければ、その効果は発揮されません。製品そのものだけでなく、説明と運用が事故を左右する、という構図がここにも表れています。
今日からできる3つの対策
3つの対策をご紹介する前に、開発現場でのエピソードを少しだけお話しさせてください。
開発現場からのエピソード:「かけたつもり」の落とし穴
工具を使わずに調整できるブレーキ機構を開発していた当時(これはシルバーカー・歩行車の分野での経験です)、ユーザーテストを通じてある発見がありました。ブレーキレバーを奥までしっかり倒しても、指先に伝わる操作感の重さと、実際に車輪を止める力の強さが、必ずしも一致していなかったのです。
レバーはしっかり倒れており「効いている気がする」状態であっても、ブレーキパッドと車輪の間にわずかな隙間が残っていて、体重をかけると数センチ動いてしまうケースがありました。この経験から、「レバーが奥まで倒れたかどうか」ではなく「実際に車輪が動かないかどうか」を目で確認することの重要性を痛感し、その後、ロックレバーなど操作部の色分け表示の開発にもつながっています。
これはシルバーカー・歩行車での経験ですが、車椅子のブレーキも、タイヤの上面(車輪の部分)に部品を押し付けて制動する方式である点は共通しています。以下の3つの対策は、この共通する構造を踏まえたものです。
1. ブレーキは「かけたつもり」を疑う
車椅子のブレーキの多くは、タイヤの上面、車輪の部分に部品を押し付けて止める方式になっています。ここで知っておいていただきたいのは、レバーが正しい位置まで倒れていても、タイヤの空気圧が低かったり、タイヤの溝がすり減っていたりすると、押し付ける力が同じでも、実際に止まる力は弱くなってしまう、ということです。つまり、「レバーの見た目」だけでは、本当にブレーキが効いているかどうかは判断できません。
ブレーキをかけた後は、レバーの位置を確認するだけでなく、利用者様が体重をかける前に、介助者が手で車椅子を軽く前後に押して、動かないかを確認することを習慣にしていただくことを強くお勧めします。あわせて、月に1回程度、タイヤの空気圧やすり減り具合も点検していただくと安心です。
2. 傾斜路・踏切のリスクを、もう一歩具体的に理解する
「傾斜路や踏切は避けましょう」とよく言われますが、実際どのくらいの傾斜が危険なのか、感覚的にはわかりにくいものです。目安の一つとして、上り坂を進んでいて座面から背中が強く押し付けられるような感覚がある場合、それはすでに一人でのコントロールが難しくなり始めているサインと考えてください。この体感を、利用者様やご家族と共有しておくことをお勧めします(具体的な勾配の数値は車種ごとに取扱説明書に記載がありますので、あわせてご確認ください)。
踏切については、なぜ危険なのか、構造的な理由があります。車椅子の前輪(キャスターと呼ばれる小さな車輪)は直径が小さいため、線路の溝(レールと路面の隙間)にはまり込みやすい構造になっています。斜めに踏切を渡ろうとすると、このキャスターが溝に沿って取られてしまい、車体が急に傾いたり、動けなくなったりすることがあります。渡る際は、線路に対してできるだけ垂直に、まっすぐ進むことを意識してください。
3. 点検で「実際に何を見ているか」を知っておく
車椅子安全整備士が点検で必ず確認しているのが、ブレーキパッドと車輪の隙間(クリアランス)です。この隙間が広がっていると、レバーを操作してもタイヤにしっかり接触せず、制動力が不足します(具体的な適正値は車種ごとに異なりますので、取扱説明書または販売店にご確認ください)。
もう一つ見落とされがちなのが、前輪キャスターの「がたつき」です。左右にわずかなガタがある状態は、走行時のふらつきや、線路の溝にはまり込みやすさにつながります。
また、意外と知られていませんが、ブレーキのゴム部分やタイヤは、目に見える傷がなくても、日光や経年によって内部から硬化・劣化し、グリップ力が落ちていくことがあります。「見た目がきれいだから大丈夫」とは限らない、という点もぜひ知っておいてください。電動車椅子をご利用の場合は、これらとあわせて保護帽やヘッドガードの着用もおすすめします。
福祉用具専門相談員の方であれば、利用者様やご家族への説明の際に、「レバーの見た目」ではなく「実際に動かないかの確認」、そして「タイヤやゴム部材も劣化する」という2点をお伝えいただくことが、これまでの一般的な注意喚起との一番の違いになるはずです。
まとめ
車椅子・電動車椅子の事故は、介助者の目が届かないわずかな時間に起きやすく、一度起きると重い結果につながる傾向があります。特に、ブレーキのかけ忘れは事故の典型的な引き金の一つです。「レバーの見た目」ではなく「実際に動かないかどうかの確認」を習慣にすること、そして踏切のような構造的リスクを具体的に理解しておくことが、事故を防ぐ実践的な一歩になります。福祉用具専門相談員の方は、利用者やご家族への説明の際、こうした具体的な確認ポイントを繰り返しお伝えいただくことが、事故リスクを下げる近道になります。
出典
- NITE(製品評価技術基盤機構)「車椅子」事故防止対策報告書(2023年3月13日公表) https://www.nite.go.jp/jiko/report/risk/wheelchair.html
- NITE「高齢者の事故防止〜電動車いすの利用で気を付けたいこと〜」(2021年9月17日) https://www.nite.go.jp/jiko/chuikanki/press/2021fy/prs210917.html
